444.日本7周目その2/霧山城址を登ろう!


 平成30年05月12日。

 大和郡山城を攻略して南下、道の駅「宇陀路大宇陀」に到着です。


 前回下見しているので、車はここに停めて徒歩で行きます。


 宇陀松山城(うだまつやまじょう)のスタンプ置き場にして、登り口となっている「まちづくりセンター千軒舎」です。こちらの施設の右隣から登っていきます。

 周辺は、重要伝統的建造物群保存地区【宇陀市松山】として登録されています。


 ゼハー!ゼハー!言いながら登りますが、随分と整備が進んでおり、駐車場まで完成していました。


 整備された駐車場から先は、山道になっていました。


 白い花が咲く、空堀に到着しました。


 天守台跡地に辿り着きました。


 石碑がありました。


 こちらも石碑がありました。


 天守台跡地からの展望です。


 本丸跡地です。

 宇陀松山城は、南北朝時代の築城とされています。代々宇陀郡の有力国人秋山氏の居城とされていましたが、豊臣秀吉の時代、豊臣秀長の支配下に置かれました。元和元年(西暦1615年)に廃城となりました。


 道の駅「宇陀路大宇陀」に戻って大宇陀ブルーベリーソフトを食べて身体を冷やしておきます。

 続けて、続・100名城攻略を進めるため、北畠神社(きたばたけじんじゃ)に向かいます。建武中興十五社でも参拝しましたね。


 北畠神社で続・100名城のスタンプを回収しました。


 北畠神社の拝殿です。

 北畠神社は、北畠氏館跡地に鎮座しています。


 北畠氏館は、南北朝時代に築城されたのが始まりとされており、伊勢国国司から戦国大名に脱皮した北畠氏の本拠地となります。


 一つ上の写真の案内板から眺めた展望です。


 ひたすら杉林を登ります。

 北畠神社から私の足で40分、健脚な方で20分といったところでしょうか。


 別れ道がありました。この看板からあと一息です。


 ようやく史跡の看板がありました。


 鐘撞堂跡地からの展望です。

 鐘撞堂跡地は本丸とは別の曲輪となっています。


 本丸跡地からの展望です。


 霧山城址の石碑です。


 西日となっており写真が撮りにくいです。


 下山道を開始します。


 こちらは麓まで戻ってきた場所です。有料拝観の北畠庭園が丸見えです(笑)。

 長期戦を考えて、今晩の寝床を検討しましたが、今後の天気に恵まれず、最終的に自宅に戻る判断をしました。旅の初日からそれなりに山登りにトライしたので良いでしょう。時間をかけて体力を付けていきましょう。

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