1033.中国の旅その22:岡山城と後楽園を見に行こう!


 令和06年04月10日08時からのスタートです。


 かおり風景100選【吉備丘陵の白桃】の一環で訪問です。

 清水白桃発祥の地として石碑はありますが、白桃畑は少し離れます。


 吉備丘陵の白桃は、岡山県の岡山市一宮地区と倉敷市玉島地区に代表される白桃畑を指します。


 4月の上中旬には桃の花を楽しめます。


 日本の都市公園100選【後楽園】を訪ねます。


 入園料は大人一人410円です。


 前回はこちらのメダル目当てで訪問しました。ラインナップは前回同様です。


 後楽園(こうらくえん)は、岡山県岡山市北区後楽園にある日本庭園です。


 後楽園は、江戸時代初期に岡山藩二代目藩主・池田綱政(いけだつなまさ)によって造営された元禄文化を代表する庭園です。


 桜のエリアです。大分散っていますが、桜の絨毯が美しいです。


 後楽園は、日本三名園の一つに数えられる庭園です。


 後楽園の南門から抜けて、月見橋を渡ると日本100名城【岡山城】です。


 宇喜多氏時代の石垣です。


 岡山城(おかやまじょう)は、岡山県岡山市北区にある城跡です。


 岡山城は、豊臣秀吉の寵愛を受けた宇喜多秀家が慶長02年(西暦1597年)に完成させた城です。昭和20年の空襲で焼失しました。現在のものは、昭和41年に再建された鉄筋コンクリート造の復元天守です。


 宇喜多秀家は3年後の関ヶ原の合戦で敗軍の将となり、八丈島(東京都/伊豆諸島)に流され、寝返りを打った小早川秀秋が入城しますが、慶長07年に跡継ぎ無く早々に死去。その後、池田輝政(徳川家康の娘・督姫のご主人)の子孫が代々城主を務め明治維新を迎えました。


 別名、烏城(うじょう)です。


 現地のマンホールです。


 別ルートで後楽園に戻ります。


 日本の都市公園100選【後楽園】の顕彰碑は、どこか発見に至らず、スタッフの方に声を掛けましたが、「賞状は事務所にあるけど、顕彰碑はわからない」でした。


 これは見事な簾桜。


 日本百名橋【京橋】を訪ねます。


 京橋(きょうばし)は、岡山県岡山市を流れる旭川(あさひがわ)に架かる橋です。


 大正06年、現行の京橋が架橋。


 京橋には、片側1車線で橋の中央には岡山電気軌道東山本線の併用軌道があり、路面電車が走っています。


 現地には、岡山県里程元標(りていげんぴょう)の石碑がありました。


 ダムカードを2枚頂きます。


 倉敷に移動しました。


 昼食に「しば田」さんを利用します。


 農山漁村の郷土料理百選【岡山ばらずし】です。もうちょっとボリューム欲しいかな、という位で美味しく頂けました。

 同じく岡山県で選ばれている農山漁村の郷土料理百選【ままかりずし】は仕入れがなかったみたいで、また今度チャレンジです。

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