454.日本7周目その49:小値賀島に上陸!【後編】


 平成30年05月31日の午後からスタートです。


 姫の松原に鎮座している志々伎神社(しじきじんじゃ)です。

 志々伎神社は、長崎県北松浦郡小値賀町中村郷299-8にある神社です。

 折角なので、こちらも参拝していきましょう。


 志々伎神社は、平戸島にある志々伎神社が本宮の様です。かつて小値賀島が平戸藩だったことで勧請(かんじょう)されたのでしょうか。

 こちらも年季の入った石造りの狛犬さん。


 しかしモダンな拝殿です。


 牛注意と思われる案内板を発見です。

 ちょっとコワモテですね。


 柳波止場です。

 柳波止場は、小値賀島の北側にある港湾です。小値賀島を縦断出来たってことだね。


 小さな港ですが、こちらの港からも納島や宇久島神浦港への船が出ているようです。


 阿弥陀三尊仏板碑です。

 比較的新しい案内板が設置されているので撮影してみましたが、私にはよくわからないです。


 膳所城跡の案内がありました。

 小値賀島は、平戸松浦氏の発祥の地とされています。

 平戸松浦氏は、松浦半島を統一する戦国大名となって、江戸時代には昨日訪問した平戸城を藩庁とした平戸藩の藩主となった一族です。


 源定(みなもと の さだむ)公頌徳碑がありました。

 小値賀島は、かつて2つの島であり、それを埋め立てて一つの島にした歴史があります。この開拓工事を指揮したのが源定(松浦定)さんとされています。


 牛さん。

 小値賀島の人口と牛さんの数、どっちが多いかな?


 地ノ神島神社(ぢのこうじまじんじゃ)です。

 地ノ神島神社は、長崎県北松浦郡小値賀町前方郷3847にある神社です。


 地ノ神島神社は、この小値賀島で一番メジャーな神社のようです。一番案内が多かったです。


 小値賀島で3つ目の神社ですが、こちらの社殿もとても近代的な感じがします。

 社殿以外は年季を感じる風貌をしているのですが。


 地ノ神島神社は、海に向かっての鳥居があります。

 伝承によると、遣唐使船団の航海の安全を祈って創建されたと伝わります。対岸の野崎島には沖ノ神嶋神社(おきのこうじまじんじゃ)があります。


 なかなかのロケーションです。

 眼下の鳥居は、肥前型鳥居として寛文06年(西暦1666年)の建立と案内されています。


 この辺りは開拓工事で埋め立てされたエリアでしょうか。

 2つの島だった小値賀島の埋立工事は、建武元年(西暦1334年)に完了しており、その結果造られた新田は建武新田と呼ばれています。遠目に白鳥が田圃で食事中の様子が見えました。


 牛魂碑(ぎゅうこんひ)があります。


 天満神社です。船の時間を考えてこちらは通り過ぎます。

 時折、車と出会いますが基本的に自転車1台あれば快適です。


 小値賀島の南側にある小さな漁港です。


 牛の塔です。


 牛の塔は、2つの島だった小値賀島の海峡を埋め立てる工事の折り、犠牲になった牛さんの鎮魂の為に建立されたと案内があります。

 お参りしていきます。


 388は散髪?


 小値賀港近くの西宮神社です。

 人生初の小値賀島、楽しかったです。姫の松原走れて良かったです。ありがとうございました(お参り)。

 小値賀港でレンタサイクルを返却します。


 小値賀港から中通島(なかどおりじま)にある有川港行きの高速船ぽーと1に乗ります。

 45分から50分ほど揺られてで有川港に到着です。2,050円でした。

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