449.日本7周目その44:基肄城を登ろう!


 平成30年05月29日の正午からスタートです。


 福岡県に入って秋月城(あきづきじょう)跡を訪ねます。

 秋月城は、福岡県朝倉市野鳥にある城跡です。秋月陣屋とも表現されます。


 重要伝統的建造物群保存地区【福岡県朝倉市秋月】として訪問していますが、石垣や堀がしっかり残っており、城跡としても十分楽しめます。

 高低差を設けた堀に一段高い石垣群が連なっています。


 石積みの中に通路があるのでこちらはかつて水堀であったことが想像出来ます。


 秋月城は、寛永元年(西暦1624年)に福岡初代藩主・黒田長政の次男・黒田長興(くろだ ながおき)が支藩として秋月藩が分封された際に藩庁として再建され整備されました。


 こちらが現在の本丸跡地です。

 朝倉市立秋月中学校となっています。


 中学校のグランド横には秋月八幡宮が鎮座していました。

 秋月八幡宮は、社伝によると、天慶09年(西暦946年)の創建と伝わります。秋月藩初代藩主となった黒田長興の時代に再建されました。


 朝倉市秋月(あきづき)地区は、福岡県朝倉市秋月にある江戸時代を通じて秋月城の城下町として発展した地区です。


 明治時代以降は発展に取り残されてしまいますが、江戸時代の町割りに、武家屋敷群を中心とした古い街並みが残っています。「筑前の小京都」と呼ばれています。

 観光客はまばらでしたが、一応観光客向けの駐車場もあり、散策しやすくなっています。


 秋月では、ここの写真が一番気に入りました。


 続・日本100名城【水城】です。

 水城(みずき)は、現在の福岡県の太宰府市・大野城市・春日市に築かれた城跡又は堤防です。


 2日ぶりの訪問です。

 先日は早朝での訪問だったため、続・日本100名城【水城】のスタンプの押印をしに来ました。


 続けて続・日本100名城【基肄城】を訪ねます。

 基肄城(きいじょう / きいのき)は、現在の福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡(みやきぐん)基山町(きやまちょう)にまたがる基山(きざん)に築かれた城跡です。


 白村江の戦いの後、大和朝廷によって築城された防衛網の一つです。

 現地では、私より年配のおじさんがスタスタ登って楽器演奏を始めていました。


 山頂部からの展望です。ロケーション良好です。


 土塁跡と思われます。

 白村江の戦い(日本・百済VS唐・新羅)の後、大和朝廷によって築城された防衛網の一つです。


 白村江の戦いで日本とともに戦った百済人は、白村江の戦いで敗れたことで、日本に亡命しており、亡命百済人が基肄城築城に協力したとされています。


 連日、四国・九州の山城攻城を続けているので身体が動くようになってきました。


 日本植林発祥の地なる石碑がありました。

 発祥アピール、日本でも増えてきましたね。


 道の駅「大和」に立ち寄ります。

 道の駅を辿りながらどんどん西に向かいます。


 道の駅「厳木」に立ち寄ります。


 道の駅「山内」に立ち寄ります。


 道の駅「鷹ら島」に立ち寄ります。


 道の駅「鷹ら島」から見る鷹島肥前大橋(たかしまひぜんおおはし)です。

 鷹島肥前大橋は、佐賀県唐津市肥前町星賀(九州本土側)と離島である鷹島(長崎県松浦市)とを結ぶ橋長1,251mの橋です。

 平成21年(西暦2009年)に供用開始された橋で、日本国内の斜張橋では12番目に長いとされています。


 本日は「呼子台場の湯」を利用します。

 「呼子台場の湯」は、佐賀県唐津市呼子町呼子1740番地11にある入浴施設です。

 海が見える浴室で良かったです。入浴料510円ですが、17時以降は410円とちょっとお得になりました。20時まで営業されてるみたいです。

[前の旅先]を見る [次の旅先]を見る
[旅行記5]に戻る

[旅人の記録]に戻る

[トップページ]に戻る