419.日本7周目その14:友ヶ島に上陸!【中編】


 平成30年05月18日です。


 真っ暗なトンネルを抜けた先にあるこれは砲台跡でしょうか?砲台跡にしては小さいな。井戸跡かな?


 覗き込んでみます。しっかりコンクリートで固められています。

 由良要塞は、明治時代から大東亜戦争まで使われた要塞のはずなので、当時、無人島に水道インフラを整備する余力はなかったと思います。やはり井戸かなぁ。


 再び地下道に戻って別の空間を目指します。


 これは確実に砲台跡だ。めっちゃしっかり残っています。

 以前、対馬で豊砲台跡を見学した時は結構荒れてた印象ですが、こちらは観光用に整備されているということでしょうか。


 砲台同士も防空壕で繋がっているのが分かります。


 少し上から撮影です。

 第3砲台跡地は、2門ずつのすり鉢状の砲座を4つ備えています。


 第3砲台跡地から近くにある展望台に来ました。

 本来ならここから西を眺めると、淡路島が展望できるはずなんですが、霧が覆っており、写真で見えるのはこの島にある友ヶ島灯台だけですね。


 東を向くと小さな島が神島、奥に見えているのが虎島と地島と思われます。


 ここで朝買っていたオニギリを頂きます。

 一服していると船が近くを通っていました。


 所々にこんな案内板があって親切です。


 10分ほど歩いて岐路です。

 残り時間を考えて少し悩みましたが、体調が良い感じなので、旧海軍聴音所跡地も訪ねてみます。


 再び10分ほど歩いて旧海軍聴音所跡地です。

 由良要塞としての友ヶ島はは基本的に帝国陸軍管轄のはずですが、ここだけ海軍管轄だったのかな。


 ここは普通に内覧出来る状態でした。


 明治時代の軍事施設はレンガ造りが基本なのかな?

 確かに舞鶴や呉でもそんな雰囲気ではあります。


 廃墟マニアの気持ちもわからなくはないです。


 外から見た聴音所です。窓の跡が見当たらないけどここって雨ざらしだったのかな?

 音を聞くためなら聞きやすくしているか…。


 実際には、この淡路島と友ヶ島の間の狭い海峡に他国の軍艦や潜水艦が侵入したことはなかったようです。

 瀬戸内海は深度が浅くて潜水艦には向かない上に、徐々に航空戦が主戦場に移った為、この由良要塞が活躍することはありませんでした。


 天気は悪いですが、肉眼では淡路島が見えます。


 コンクリートの無骨な造詣だけれど、雰囲気があって良かったです。

 ここに機関銃とか設置されていたんだろうか。


 本日は時間制限ありなので私以外の観光客はここには来なかったようで、誰とも会いませんでした。

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