415.日本7周目その10:田丸城を登ろう!


 平成30年05月16日です。


 志摩エリアから北上を開始します。

 途中、昭和の名水百選【恵利原の水穴(天の岩戸)】に立ち寄ります。


 恵利原の水穴(えりはらのみずあな)は、三重県志摩市磯部町恵利原にある湧水です。

 恵利原の水穴には、天の岩戸伝説があります。

 天の岩戸伝説は、天照大御神の弟である須佐之男命(スサノオノミコト)の度重なる乱暴な振る舞いに怒った天照大御神は自ら天の岩戸と呼ばれる洞窟に隠れてしまいます。

 太陽の女神が隠れたことで、世の中が真っ暗闇になり、様々な災いが起こりました。


 困り果てた八百万の神々は、天安河原(あまのやすかわら)に集まり、どうすれば天照大御神に出てきてもらえるか相談します。

 知恵を絞った神々は、岩戸の前で盛大なお祭り騒ぎを始めます。外の騒がしさに興味を引かれた天照大御神が、少しだけ岩戸の戸を開けて外を覗いた隙に、天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)が岩戸をこじ開け、世界に再び光が戻りました。


 この岩穴から湧水しています。こちらが天の岩戸でしょうか。

 今は平成の名水百選があるので、便宜上、私のHPでは昭和の名水百選として扱っています。


 一帯は、天岩戸神社の境内として整備されており神秘的です。


 参道も雰囲気があって良いですね。天岩戸神社の参道は、真珠で成功した御木本幸吉さんが整備費用を寄付したと言われています。

 天の岩戸伝説は、長野県の戸隠や宮崎県の高千穂などにも残っていますが、戸隠や高千穂は観光客が多いので、こちらは穴場感が強いです。


 続・日本100名城【田丸城】を訪ねます。

 田丸城(たまるじょう)は、三重県度会郡(わたらいぐん)玉城町田丸字城郭にある城跡です。


 案内板に従って車を走らせると、玉城中学校がありました。


 近くの駐車スペースに車を停めて登ります。


 遊歩道が整備されており、すぐに城域に入ります。


 田丸城は、南北朝時代、南朝方に付いた北畠親房(きたばたけ ちかふさ)が築城したのが始まりとされています。


 本丸跡地に到着です。


 こちらが天守台跡地と紹介されています。

 戦国時代、織田信長の次男・信雄に北畠氏の家督を継がせ伊勢国を支配下におくわけですが、田丸城はその時、織田信雄の本拠地となりました。その際に、三層の天守を構える近世城郭となりました。


 天守台の中にいます。


 天守台跡地から田園風景が広がっています。

 織田信長は楽市楽座のような経済自由化・活発化を主体とした経済政策に注目が集まりますが、濃尾平野や伊勢平野といった米所を押さえた点が他の有力大名との大きな差だと思います。

 この田園風景が濃尾平野にも負けない伊勢国の豊さを物語っています。伊勢国を押さえた時点で織田信長は尾張・美濃・伊勢の3国で150万石の大大名になり天下統一の最有力候補になりました。


 ここは模擬天守を造るより、この天守台跡のままの方が良いですね。


 天気は回復しないままですが、雨が降らないだけマシなのかな。


 この辺りの石垣は再現かな?なんか妙にきれいな石が積まれています。


 玉城中学校のグラウンドが見えますが、ここが駐輪場になっているの?

 グラウンドが駐輪場になっていることが不思議な私です。


 この石垣がたまらんな!とか感じるようになってしまったので私はもう城好きを名乗ってよいでしょうか。


 本丸の奥の郭(北側)にはお稲荷さんが鎮座していました。


 折角なのでお参りしていきます。


 大手門まで戻ってきました。


 外堀が水掘りになっています。

 幾つかの曲輪と天守台跡、石垣、外堀(水堀)、内堀、堀切、空堀などの遺構が豊富に残っています。


 こちらは玉城町役場です。内堀と外堀の間にあります。


 こちらは村山龍平記念館です。玉城町役場の向かいにあり、続・日本100名城【田丸城】のスタンプがあります。

 村山龍平さんって誰だと思って調べると悪名高い朝日新聞社の創設者だとか。村山龍平さんは、玉城町出身で、名誉町民第1号となっています。

 朝日新聞社は、従軍慰安婦という言葉を捏造した結果、朝日新聞の報道を知った韓国政府が外交のカードとして利用し始めました。当時、合法的な慰安所や売春婦が非合法な従軍慰安婦になった瞬間でした。

 ちなみに朝日新聞が従軍慰安婦記事に関する証拠・証言が捏造だったことを認め平成26年に謝罪記事を出したことを知る人は意外と少ないです。何故ならとても小さい記事だったから。国際関係を揺るがす大問題を作っておきながら小さな謝罪文だけで誰も責任を取っていない朝日新聞をマスコミと呼べるのでしょうか。

 …話が脱線しましたが、9時になって続・日本100名城【田丸城】のスタンプを回収しました。

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