1002.大阪の橋めぐり!
令和05年12月15日09時からのスタートです。 |
|
![]() |
|
道の駅「あらぎの里」からです。 |
|
![]() |
|
二川ダムのダムカードを頂きます。 |
|
![]() |
|
新しい道の駅「海南サクアス」に立ち寄ります。 |
|
![]() |
|
まちの駅かいづかで、貝塚市Bのマンホールカードを頂きます。 |
|
![]() |
|
日本百名橋【住吉の反橋】を訪ねます。 |
|
![]() |
|
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89にある神社です。 |
|
![]() |
|
住吉の反橋(すみよしのそりはし)は、住吉大社の境内に架かる橋です。 |
|
![]() |
|
今回は橋が目当てではありますが、参拝していきます。 |
|
![]() |
|
通称「太鼓橋(たいこばし)」です。 |
|
![]() |
|
住吉の反橋は、架橋当時は住吉大社付近に海岸線があり、本殿と対岸の入り江を結ぶ目的で架橋されたと伝わります。 |
|
![]() |
|
日本百名橋【心斎橋】を訪ねます。 |
|
![]() |
|
心斎橋(しんさいばし)は、大阪府大阪市を流れる長堀川(ながほりがわ/現在は埋立て済み)に架かっていた橋です。 |
|
![]() |
|
明治06年(西暦1873年)、初代心斎橋(ドイツ製の鉄橋)が架橋されました。大阪で2番目、日本で5番目の鉄橋とされています。 明治42年(西暦1909年)、長堀川の北岸に市電が敷設されたのに伴い、石造りのアーチ橋へと姿を変えます。2代目心斎橋です。初代心斎橋は壊されず引越して境川橋となります。 大東亜戦戦争の後、長堀川が、戦災の焼却物で埋め立てられて、川がなくなります。昭和39年(西暦1964年)、長堀川が埋め立てられた後の長堀通を横断する歩道橋として架橋されたのが今の心斎橋です。人が多すぎて私は苦手な場所でした。 平成元年(西暦1989年)、初代心斎橋は、何度かの引越の後、鶴見緑地に緑地西橋(りょくちにしばし)として架橋されています。日本現存最古の鉄橋と言われています。 |
|
![]() |
|
大阪市役所に車を停めます。 |
|
![]() |
|
日本百名橋【淀屋橋】を訪ねます。 |
|
![]() |
|
淀屋橋(よどやばし)は、大阪府大阪市を流れる土佐堀川(とさぼりがわ)に架かる橋です。 |
|
![]() |
|
淀屋橋は、昭和10年(西暦1935年)に鉄筋コンクリート造りのアーチ橋として架橋されました。現在も現役です。 淀屋橋は【難波橋】の西側に位置しており、淀屋橋の上を【御堂筋】が走っており、淀屋橋の北詰には、大阪市役所があります。令和05年12月15日訪問時は大阪市役所の駐車場を利用しました。 |
|
![]() |
|
続いて日本百名橋【難波橋】を訪ねます。 難波橋(なにわばし)は、大阪府大阪市北区を流れる土佐堀川(とさぼりがわ)に架かる橋です。 |
|
![]() |
|
難波橋は、大正04年(西暦1915年)に現在の難波橋が架橋。パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にして製作されたのだとか。 |
|
![]() |
|
昭和50年(西暦1975年)、大阪市によって大改修実施、現在の姿になりました。難波橋から【中之島公園】に降りれるようになっています。また【中之島通】に連結しています。 |
|
![]() |
|
続いて日本百名橋【高麗橋】を訪ねます。 |
|
![]() |
|
高麗橋(こうらいばし)は、大阪府大阪市中央区を流れる東横堀川(ひがしよこぼりがわ)に架かる橋です。 天正13年(西暦1585年)、大坂城築城に際して、豊臣秀吉の命により東横堀川が開削され、その際に架橋されたのが始まりとされています。 |
|
![]() |
|
明治03年(西暦1870年)、大阪初の鉄橋として架橋。昭和04年(西暦1929年)、鉄筋コンクリート製のアーチ橋として架橋。こちらが現在の高麗橋です。 昭和40年(西暦1965年)、阪神高速1号環状線南行きの開通によって、頭上を高速道路の高架で覆われるようになりました。 |
|
![]() |
|
門真市役所本館2Fに立ち寄って、門真市Bのマンホールカードを頂きます。 |
|
![]() |
|
帰路、遅めの昼食に「キラメキノトリ」さんに立ち寄ります。 |
|
![]() |
|
ご馳走様でした。本日は、日帰り310q、燃費は21.2km/Lでした。 |