845.北陸の旅その24:金沢城を登ろう!
令和04年04月13日15時すぎからのスタートです。 |
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日本の道100選【百間堀通り】、新・日本街路樹100景【百間掘通り】を高架で横断して日本100名城【金沢城】を訪ねます。 |
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金沢城(かなざわじょう)は、石川県金沢市丸にある城跡です。 |
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水堀に桜が浮かんでいます。時期が少し遅かったですね。 |
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石垣の解説がありました。 自然石積みとあります。所謂、野面積みですね。戦国前期の頃の石垣です。 |
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戦国後期くらいから見かける石垣です。 |
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江戸時代の大規模な城郭で見かける石垣です。 |
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石垣の中にトンネルがあります。 |
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明治時代から帝国陸軍が駐屯したのでその際に造られたと現地案内がありました。 |
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本丸と二の丸の間の堀です。 |
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逆サイドから。 |
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玉泉院丸庭園です。 3代目藩主・前田利常(としつね)の作庭から廃藩まで藩主の内庭として整備されたと現地案内がありました。 |
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日本の道100選【百万石通り】に降りてきました。 |
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百万石通り(ひゃくまんごくどおり)は、石川県金沢市の中心である金沢城や兼六園をぐるっと囲むように走っている通りです。 |
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日本の道100選の石碑を探しましたが発見に至らず終わりました。 調べてみると、どうやら背の低い石碑のようで、通りとは反対を向いているのだとか。いつか発見したいと思っています。 |
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枝垂桜が満開で残っていました。 |
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金沢城の多重石垣良いですね。 |
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先ほど高架から見下ろした日本の道100選【百間堀通り】、新・日本街路樹100景【百間掘通り】を歩きます。 百間堀通り(ひゃっけんぼりどおり)は、金沢城と兼六園の間を走っている通りです。 |
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こんな所に初代藩主・前田利家の銅像がこんな所に。 |
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重要伝統的建造物群保存地区【石川県金沢市東山ひがし】を訪ねます。 |
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石川県金沢市東山ひがし地区は、金沢城下の公認茶屋町として発展した地区です。 |
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茶屋町が設けられたのは、文政03年(西暦1820年)のことで茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っています。 |
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続いて重要伝統的建造物群保存地区【石川県金沢市主計町】を訪ねます。 |
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石川県金沢市主計町(かずえまち)地区は、金沢城下の茶屋町として発展した地区です。 |
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金沢市主計町は、加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来するとされています。 |
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続けて重要伝統的建造物群保存地区【石川県金沢市卯辰山麓】を訪ねます。 石川県金沢市卯辰山麓(うだつさんろく)地区は、金沢城下の北東側に位置する寺院群地区です。 卯辰山麓地区は、加賀藩3代藩主前田利常が、元和から寛永年間(西暦1615〜1644年)にかけて整備した寺院群で、37の寺院と2つの神社が指定地域にあります。 その後、富山入りして本日はお仕舞です。 |