443.日本7周目その1:大和郡山城を登ろう!
平成30年05月12日。 私の有給消化期間が開始されました。一ヶ月としばらくの後、私の肩書きは不動産屋さんの店長から高齢ニートに変わります。ふはは! 日本七周目プロジェクトが発動です。今回のターゲットは、下記の通りです。 1.続・100名城のスタンプラリーを完走し、日本100名城と併せて200名城の制覇を目指す。 2.未訪問の与那国島、波照間島に上陸し、最西端と最南端に辿り着く。 3.屋久島で縄文杉に到達する。(過去、天気に恵まれず断念しています。) 4.小値賀島に上陸し、姫の松原を走破する。これで新・日本街路樹100景達成となります。 5.九州の道の駅スタンプラリーを制覇する。他8エリアと併せて、全国の道の駅公式制覇認定を受ける。 6.天城峠(旧道)を走破する。これで日本の道100選(何故か104箇所選定)達成となります。 7.全国に点在する二宮から九宮を可能な範囲で参拝し、御朱印を頂戴する。 8.各種100選の未訪問地点の制覇、若しくは再訪によるスマホ写真の回収を実施する。 9.茶平工業のご当地メダルの回収に努める。特に沖縄、北海道では全回収を目指す。 10.20タワーズを完走すること。 以上が、私の思い描いた日本7周目のプランです。勿論実行できない案件もあるでしょうが、上位5つを達成した時点で日本7周目完走としたいと思います。 |
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早速、続・100名城のスタンプラリー帳をゲットしました。 近場から巡っていきます。 |
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大和郡山城(やまとこおりやまじょう)です。 |
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水堀です。 私は、三の丸駐車場から歩きましたが、遠目に車が止まっているのが見えますね。城郭の麓に無料駐車場がありました。やってしまった。 |
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大和郡山城は、南北朝時代から戦国時代にかけて秋山氏の築城とされています。 |
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城内には柳澤神社が鎮座しています。 明治維新を迎えたときの大和郡山城の城主が柳澤氏です。 |
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続・100名城の新しい石碑が設置されていました。 |
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柳澤神社の拝殿です。 お参りして行きます。御朱印は書置きのみあるとのことでした。 |
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再建された本丸天守台跡地です。 |
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天守台からの展望です。 |
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豊臣秀吉の時代、異母弟の秀長が城主を勤めました。大和、和泉、紀伊の100万石の大名であった秀長がその石高に相応しい城郭整備をしたとされていますが、大和国は石材には恵まれておらず、石像も石垣に転用されたと伝わっています。 現地には「逆さ地蔵」として案内や解説があります。 |
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柳澤神社の立派な御神木が印象的です。 |
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本丸を囲う内堀です。 |
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この大和郡山城は、大阪夏の陣の前哨戦では落城の憂き目にあっています。続・日本100名城に選ばれてから急ピッチで石垣の再建、整備されていっている印象です。 |
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先ほどとは逆に、二の丸跡地から天守台を眺めます。 かなりの陽射しの中ですが、観光客はチラホラといました。 |
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復元された追手門(梅林門) です。 |
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追手向櫓です。 40分ほどの探索でした。有料の三の丸駐車場も100円と非常に良心的でした。 |
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新しい道の駅「レスティ唐古・鍵」に立ち寄ります。 |
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昼食がお目当てでしたが、流石に新しい道の駅なだけあり、人が溢れかえっており現地での昼食は断念。パン屋さんでパンを3つほど購入し、走りながらの昼食にしました。 |