762.黒井城跡を登ろう!


 令和02年12月15日11時からスタートです。


 京都縦貫道を使って北上します。千代川ICの近くで珍しい標識を発見しました。


 篠山市役所上下水道部下水道課を訪ねて丹波篠山市のマンホールカードを頂きました。


 丹波市観光協会「かいばら観光案内所」を訪ねて丹波市のマンホールカードを頂きました。


 木の根橋と呼ばれる橋です。


 ご当地マンホールです。


 柏原陣屋(かいばらじんや)跡地です。


 再建された御殿(の5分の1)が残っています。


 お腹を空かせていた処にラーメン屋さんを発見。


 ふくちあんラーメンを注文。横綱と似ているかな。美味しかった。ご馳走様でした。


 国の史跡【黒井城跡】、続・日本100名城【黒井城】を訪ねます。


 続・日本100名城に選ばれている以上、いつまでも放置は出来ません。黒井城には、急な道とゆったりな道の2つが用意されています。


 勿論、ゆったりな道を使っての攻城を選びます。

 遠目に本丸跡が見えます。


 なにやら門があります。


 まだ山の中腹ですが、なかなかのロケーションです。


 この門があるのは、石踏の段跡と呼ばれるエリアです。曲輪跡と言うべきでしょうか。


 本丸まで後200m。


 本丸まで後100m。こういう案内板はもう一息を知らせてくれるのでとても好きです。


 良かった。登りきれた。私の足で40分でした。


 東曲輪跡が出迎えてくれます。


 三の丸です。


 二の丸です。


 南側の石垣と農村風景。

 きっと500年前も同じような田園風景が広がっていたのでしょうね。


 二の丸と本丸を分かつ堀跡が見てとれます。


 本丸跡地です。


 黒井城(くろいじょう)は、兵庫県丹波市にある城跡です。別名として、保月城(ほげつじょう)とも言われ、現地の石碑も保月城でした。


 黒井城は、建武年間に赤松貞範が築城したのが始まりとされています。


 戦国時代には丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直正の居城となりますが、天正07年(西暦1579年)、息子の赤井直義の時、明智光秀に攻められ落城しました。その後、明智光秀の部下・斎藤利三が城主となり、現在の縄張りまで拡張したとされています。江戸時代に入り廃城となりました。


 帰路は急な方を選びました。


 三段曲輪など見所はありますが、かなり急で転んでしまいました。皆様も気をつけて下さい。

 素晴らしい城跡でした。

[前の旅先]を見る [次の旅先]を見る

[旅行記7]に戻る

[旅人の記録]に戻る

[トップページ]に戻る