602.京都の城跡めぐり


 平成30年11月27日11時からスタートです。


 槇島(まきしま)城跡です。


 槇島城は、京都府宇治市槇島町にあった城で、槇島城の戦い(織田信長VS足利義昭)で足利幕府が事実上滅んだ歴史的な城跡なのですが、現地は民家に囲まれた小さな公園になっていました。


 「まるちゅう」さんで昼食にします。


 休みの日のランチはやっぱりラーメンだよね!?

 ご馳走様でした。


 淀城(よどじょう)城跡に到着です。


 淀城は、京都府京都市伏見区淀本町にあった城です。


 現地には石垣や堀が残っています。


 往年の淀は、海産物や塩の陸揚げを集積する商業地として知られており、その要衝を押さえる立派な城郭であったことが窺えます。


 一定保存復元も行なわれているようですね。


 明治天皇御駐蹕(ごちゅうひつ)の碑がありました。


 淀城跡の石碑。


 淀城跡に鎮座している與杼神社(よどじんじゃ)です。


 御朱印も頂きました。


 勝龍寺(しょうりゅうじ)城跡です。


 勝龍寺城は、京都府長岡京市勝竜寺にあった城です。


 現地ではスケッチブックを持った方が沢山いらっしゃいました。


 細川藤孝(ほそかわふじたか)の居城として知られた城ですが、その面影は残っていませんでした。

 一応土塁跡が残っているそうですが、今回は割愛しました。


 龍谷山(りゅうこくざん)本願寺(ほんがんじ)です。


 通称西本願寺は、京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60にある浄土真宗本願寺派の本山寺院です。


 本圀寺(ほんこくじ)跡地です。本圀寺の変の舞台となった場所です


 本圀寺の変は、永禄12年(西暦1569年)に三好三人衆が本圀寺に仮御所を置いていた室町幕府15代将軍・足利義昭を襲撃した事件のことです。


 日本100名城【二条城】です。


 二条城(にじょうじょう)は、京都市二条通堀川西入二条城町にある城跡です。


 関ヶ原の戦いの後、徳川家康が天下普請にて築城しました。慶長08年(西暦1603年)、徳川家康は征夷大将軍になり、二条城で「拝賀の礼」を執り行いました。


 慶応03年(西暦1867年)、江戸15代将軍徳川慶喜が、二条城で大政奉還をし、江戸時代に終わりが告げられました。


 銀杏の木が美しいですね。


 銀杏の絨毯です。


 城朱印を頂きました。


 ご当地メダルも回収です。


 世界文化遺産【古都京都の文化財】を構成する17の遺産の1です。


 聚楽第(じゅらくてい/じゅらくだい)です。


 聚楽第は、関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として造られました。


 建勲神社(たけいさおじんじゃ)です。


 建勲神社は、京都府京都市北区紫野北舟岡町49にある神社です。


 主祭神は、織田信長公です。


 御朱印を頂きました。


 こちらは、船岡山城(ふなおかやまじょう)跡でもあります。

 応仁の乱で西軍側の拠点の一つとなり、攻防が行なわれています。現地には土塁の跡地と思しき箇所が幾つかありました。

 本日はここで終了です。

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