526.日本7周目その84:富山城と鮫ヶ尾城


 平成30年06月26日12時からスタートです。


 今日も城めぐり全開です。

 続・日本100名城【富山城】に到着です。


 富山城(とやまじょう)は、富山県富山市丸の内にある城跡です。

 富山城は、越中守護代神保長職(じんぼうながもと)が築いたのが始まりとされています。


 こちらは千歳御門です。

 織田信長の時代、佐々成政が入城しますが、本能寺の変の後、敵対した豊臣秀吉に7万の大軍で包囲され降伏しました。

 江戸時代に入ると、前田家の分家が富山藩として独立。その居城となり、明治維新まで続きました。


 ここの石垣は良い復元状態ですね。


 越中富山藩の第2代藩主・前田正甫(まえだまさとし)の銅像がありました。

 この人は、製薬業を広め、越中の和漢薬を一躍有名にした人です。


 昼食、どちらにしようかと悩んで左のうどんそば処にしました。


 日替わり定食をチョイス。

 おお!美味い!また来たい食堂でした。ご馳走様!


 新潟県に入って続・日本100名城【鮫ヶ尾城】の攻略を目指します。


 どうやら現地は、城跡の他に縄文時代の遺跡地帯でもあるようです。


 斐太歴史の里総合案内所で続・日本100名城【鮫ヶ尾城】のスタンプを回収して攻城開始です。


 鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、新潟県妙高市にある城跡です。


 鮫ヶ尾城は、築城者、築城年代がわかっていません。


 天正06年(西暦1578年)、上杉謙信が死んだ後、後継者争いが起こりました。所謂、御館の乱(おたてのらん)ですが、この時の鮫ヶ尾城城主である堀江宗親は上杉景虎側に付き、景虎を招き入れますが、当の堀江宗親は寝返り、退去。影虎が篭る鮫ヶ尾城は総攻撃を受けて落城しました。


 本丸跡地にある案内板です。


 少し霧がかかっていますが、展望が開けています。


 登る際は、新道を利用して登り、戻る際は旧道を使いました。


 堀切を楽しみながらぐるっと一周コースで30〜40分ほどでした。


 普段釣りに興味が無くても、釣り人がいると何か釣れているのか気になってしまうのは人の性(さが)でしょうね。

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