504.日本7周目その63/南山城と浦添城


 平成30年06月08日12時からスタートです。


 南山城(なんざんぐすく/なんざんじょう)です。

 南山城は、沖縄県糸満市大里にある城跡です。


 現地には、南山神社が鎮座しています。


 高嶺小学校と中学校が敷地繋がりでありました。


 城内に一段高くなっている場所がありました。

 ここが天守のような場所だったのでしょうか。


 城址碑があります。


 こちらはお墓のようですね。


 野面積みの城壁がチラホラ見つかります。


 出入り口は、布積みの石垣で守られていますね。


 城壁の外側を歩きます。


 樹木と一体化した石垣も良いですね。


 南山神社の鳥居です。


 立派なガジュマルが沢山ありました。


 続けて浦添城(うらそえぐすく/うらそえじょう)を見に来ました。

 浦添城は、沖縄県浦添市にある城跡です。

 浦添ようどれは、沖縄県浦添市にある琉球王国の陵墓です。


 公園として整備されているので駐車場に車を止めて散策します。

 最近復元されたと思しき石垣がありました。


 小高い丘陵にあるので浦添市が見渡せます。


 お地蔵さんが鎮座していました。


 元々鍾乳洞があった場所が陥没してできた御獄(うたき)と案内がありました。「ディーグガマ」と言うそうです。


 浦添城は、中山王が首里城を築くまでの本拠地とした城郭です。


 調べて見ると、慶長14年(西暦1609年)に、薩摩軍が琉球に侵攻し、こちらの浦添城はコテンパンにされたのだとか。

 なるほど、鬼島津に襲われたら仕方がないね。


 その後、大東亜戦争時代の沖縄防衛戦でも日本軍が防衛拠点として死守したため、三週間に渡る激しい攻防が行なわれた戦場となったそうです。


 浦添城から駐車場に戻って、階段を降りていくと「浦添ようどれ」です。


 途中、バリバリと音がするので見上げてみると、あれか。


 最近ニュースで良く反日団体のヤリ玉に挙げられているオスプレイさんじゃないですか。

 結構、音凄いんだね。


 浦添城が丘陵の上にあるり、「浦添ようどれ」は丘陵の北側中腹にあるます。


 布積みで整然と積み上げられている石垣が美しいですね。

 勿論、復元保存なんだろうけど、これはお墓というより砦そのものですね。


 左奥が、第2尚氏7代目琉球王の尚寧王(しょうねいおう/島津侵攻に降伏して江戸まで連行されて徳川秀忠に面会した人)のお墓で、右手前側が英祖王(えいそおう/13世紀の王様)のお墓です。


 ここの内部は、「浦添グスクようどれ館」で見れるみたいです。

 私は時間切れで立ち寄っていませんが、月曜日休館日の午前9時〜午後5時、拝観料100円のようなので興味ある方はどうぞ。


 私の自宅もこんな石垣で守りたいな、なんて思ったり。

 別に誰かに攻められるとかそういうことはないんですけどね。壱岐島のアホウ塀と同じですよ。男のロマンなんですよ。


 今回の沖縄の城郭めぐりはここでお仕舞いです。

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