459.日本7周目その17:一宮城跡を登ろう!


 平成30年05月19日。

 午後になりました。四国に上陸し、続100名城を中心に攻略して参ります。


 いきなりガソリンスタンドですが、土日はこちらに続・100名城のスタンプが置かれています。


 勝瑞城(しょうずいじょう)です。

 勝瑞城は、阿波国守護細川氏の居城として守護所が置かれていたとされます。


 勝瑞城は、城跡と館跡の2つ史跡で構成されています。

 細川氏から実権を奪った三好氏の居城となり、土佐国の長宗我部氏に対抗するため、守護所の近くに勝瑞城を築城したものの、長宗我部氏の前に落城、廃城となったと言われてます。


 堀に囲まれた敷地の中に石碑などが点在しています。


 現在は、見性寺というお寺の敷地になっています。


 水堀に囲まれたお寺は珍しいですね。


 5つの古い墓石があり、三好家の面々の名がありました。


 新しい墓石にも三好家と書かれています。


 館跡に移動しました。


 こんな感じでした。


 案内看板があるだけで、まだまだ発掘調査中の状態でした。


 鎌倉時代から室町時代にかけて細川氏や三好氏の拠点として隆盛を誇った城下町だったと言われていますが、その面影はイメージしづらいかも。


 現地に居たスタッフの方から資料を貰っておしまいです。


 続けて一宮城跡に来ました。


 かつて参拝した四国八十八霊場13番札所大日寺や阿波国一宮とされる一宮神社が麓にある城跡です。

 続・100名城のスタンプはここの案内板の近くにあります。


 登る前に一宮神社に参拝します。


 一宮城(いちのみやじょう)は、徳島県徳島市一宮町にある城郭で南北朝時代に阿波国守護であった小笠原長宗が築城したのが始まりとされています。


 豊臣秀吉の時代になると蜂須賀家政が阿波国を支配し入城しますが、新たに徳島城を築いて移ったため、一宮城は徳島城の支城となり、江戸時代に入ると一国一城令で廃城となりました。


 山城ですがしっかり遊歩道が整備されているので登りやすいです。

 ロケーションも上々です。


 才蔵丸跡地です。


 所々案内がありわかりやすいです。


 本丸跡地に到着です。石垣には阿波青石が使われており、雨で濡れると青く見えるのだとか。


 本丸跡地には小さな社が鎮座していました。


 本丸をぐるっと周りながら写真撮影。


 山城の石垣っていいな。


 忘れずにお参りもしますよ。


 本丸跡からの展望です。


 城の前に鮎喰川が流れ、背中は険峻な山が守っている、そんな山城です。


 ここの石垣はホント良いなぁ〜。


 登ったルートとは違うルートで下山していきます。


 こちらは陰滝と呼ばれる滝です。

 かつて城側の水源とされた場所だとか。


 誰だい、こんな所に自転車を乗り捨てたのは。

 竹林もまた美しいですね。

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