451.日本7周目その9/大王埼灯台と安乗埼灯台


 平成30年05月16日。

 朝の5時から大王埼灯台に向かいます。


 猫ちゃんも朝早いようだね。


 大分人馴れしているようで逃げもしないな。


 何度目かの訪問ですが、どんどん寂れて行っている様な。まぁ今はまだ朝の5時過ぎですから店は当然開いていないわけですが。


 だんだらぼっちさん、中々のインパクト。


 大王埼灯台です。

 日本の灯台50選に選ばれています。


 初点灯は昭和02年10月05日です。「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と昔から船頭たちに唄われていた海の難所とされています。


 朝日が昇ってきましたね。少し雲がかっていますが、晴れて欲しいな。


 波切丸鬼城址と石碑がありますが、現地は崖の上に建つ砦のように感じます。遺跡は少なく公園化していますね。

 「波切」は「なみきり」ではなく「なきり」と読みます。九鬼水軍を率いて活躍した九鬼嘉隆の生誕の城とされています。織田信長の配下として鉄甲船で毛利水軍を破った人です。


 波切城址から見た大王埼灯台です。


 写真だけを見ると夕陽のようにも見えますね。


 大王崎は景勝地なので、数々の絵描きさんが集まったのだとか。

 ここでも地名としては大王崎、灯台は大王埼と表記されています。不思議なルールですね。


 大王崎にある波切漁港まで戻ってきました。

 ここが駐車場になっています。


 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【志摩漁業の土木遺跡(波切漁港石積み護岸)】が見れます。


 ノミを使って石を整形し石の合わせ目をすき間なくあわせたノミアイバでと言われる工法です。


 対岸から見るほうがわかりやすいかもしれませんね。

 波切には石工が沢山いて、石の加工技術以外にも石を積む技術も高かったことが伺えます。


 大慈寺という波切地区の中程にある寺院の石垣は、専門の石工が築いた波切最古の石積とされています。


 造られて100年以上とされていますが、保存状態も非常に良いですね。


 波切地区の集落は道が狭く車移動がしにくいです。駐車場からそんなに遠くないので歩いて向かったら良かったと体験談。

 大慈寺は志摩国七幅神の一つに選ばれているようなので、また将来再訪するかも。


 続けて安乗埼灯台にも再訪です。

 「あのりさき」と読みます。日本の灯台50選に選ばれています。

 灯台近くの道路は狭く、行き違いが困難なルートになるのでペーパーなドライバーな方は気をつけてくださいね。


 200円払えば登れる灯台のはずですが、当日はまだ午前7時の為、営業しておらず、外観までです。


 現在の安乗埼灯台はRC造の2代目ですが、初代は日本灯台の父と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による木造灯台でした。

 このブライトンさんが設計した灯台は日本に26箇所あるそうです。


 安乗埼灯台は日本に出来た西洋式灯台の20番目になるのだとか。


 灯台周辺の敷地が現在整備中だったので、風光明媚な公園が誕生するかもだけど、それより道路広げるほうが訪問者増えそうだ。

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