446.日本7周目その4/太地町捕鯨歴史文化財


 平成30年05月14日。

 東に向かって道の駅「くしもと橋杭岩」で一休憩です。


 ポンカンソフトクリームです。

 16時半になりました。今日は、太地町捕鯨歴史文化財を巡って終わりになりそうです。


 「橋杭岩」です。国の名勝・国の天然記念物です。


 大小40の岩が並んでいます。潮岬とは違い、観光客で溢れかえっていました。


 新しく出来ていた道の駅「たいじ」です。


 ここから未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選【太地町捕鯨歴史文化財】の構成要件を探します。


 この陸に上げられている船は、捕鯨船資料館です。

 昭和52年までの大型鯨を追って南氷洋、北氷洋に活躍し、国際捕鯨オリンピックで優勝した輝かしい歴史を持つ捕鯨船なのだとか。


 学校横を抜けて燈明崎に到着。車を停めて探索します。

 古式捕鯨時代、最も重要な場所で、狼煙場跡・支度部屋跡等があり、太地町で初めて鯨油を用いた行灯式燈明台の出来た場所でもあると解説がありました。


 狼煙場跡ですね。


 鯨の潮吹きを発見したらここで狼煙を上げたり、法螺貝を吹いたりして捕鯨船を誘導していた、とのこと。


 小屋が再建されています。


 ここから周辺を見渡していたのかな?

 山見と呼ばれる場所で鯨の発見のほか、この海域を行き交う船を誘導していたのだとか。


 燈明崎の燈明台跡です。

 再建されているようですね。


 江戸時代に紀州藩が常設した灯台で、紀伊続風土記には、寛永13年(西暦1636年)に設置された旨が記録されています。明治時代になって廃止されたのだとか。

 こちらの灯火の燃料には鯨油が使われたのだそう。


 確かに岩礁の多い地形なので、明かりが無ければ座礁してしまいそうだ。


 美しい景勝地でもありますね。


 西日が眩しいですが、御崎神社です。


 こちらは遣唐使の時代、吉備真備(きびのまきび)さんが唐からの帰途、ここに遭難、漂着したと続日本記に記されていることから設立された石碑のようです。


 梶取崎(かじとりざき)に移動して、くじら供養碑を発見。


 梶取崎灯台です。


 梶取崎灯台の横を抜けて先端を目指します。

 右下に移っている細い道を進みます。


 こちらにも狼煙場跡がありました。


 穴が開いた船のような岩が見れます。


 この辺り一帯、リアス式海岸のようですね。


 梶取崎灯台です。


 大地漁港です。


 日本遺産【鯨とともに生きる】に含まれている岩門(せきもん)です。

 この岩門の奥に捕鯨を始めた和田家の先祖が屋敷を構えていたことから和田の岩屋とも呼ばれてきたのだとか。


 ゆりの山温泉です。

 300円で入れる良心的な温泉です。少し温めの硫黄泉でした。


 地元では見かけない回転寿司があったので入りました。

 くら寿司のが美味いな!ということで、本日はここまで。

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