440.若桜鬼ヶ城に登ろう!


 平成30年04月19日。

 豊岡から出石に向かいます。


 続・日本100名城【出石城・有子山城】です。


 但馬守護・山名祐豊が天正02年(西暦1574年)、有子山山頂を天守とする有子山城(ありこやまじょう)を築き、本拠を移しました。しかし、織田信長と敵対する毛利輝元に付いた為、天正08年(西暦1580年)、羽柴秀吉によって攻め込まれ但馬山名氏は滅亡しました。


 有子山城の麓に造られた館や城郭が江戸時代に入って出石城として成立しました。宝永03年(西暦1706年)に仙石氏が入城して以来、明治維新まで仙石氏による統治が続きました。

 こちらはその仙石氏を称える神社です。


 出石城下の展望です。

 のんびり過ごしたかったのですが、変な老人に引っ付き虫みたいに話しかけられてゆっくり出来ませんでした。残念。


 本丸西隅櫓です。


 辰鼓楼(しんころう)です。日本最古の時計台ともされています。


 道の駅「山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」です。

 兵庫県は新しい道の駅が続々と出来ていますね。


 医王山(いおうさん)東源寺(とうげんじ)です。

 中国四十九薬師霊場47番札所として二度目のチャレンジですが、再びお留守。メモを残しておきました。


 鳥取県に入って道の駅「にちなん日野川の郷」です。

 ここで昼食にします。


 日替わり定食600円でした。

 アジのフライですね。肉しか食べなかった私も40を前にして魚も食べるようになって来ました。不思議ですね。


 若桜街道を使って戻りつつ、続・日本100名城【若桜鬼ヶ城】を探します。

 地図的にはここの上だな。うん。行き止まりだった。


 山に沿って入り口を探していると公民館裏に入り口を発見。


 通常の人の3倍くらいのゆっくりペースで登り続けます。

 20mに一度くらい立ち止まって休憩しています。


 なんだかんだと城郭に辿り着きます。


 若桜鬼ヶ城は、正治02年(西暦1200年)に矢部氏が築城し、その後16代続きましたが、尼子氏、毛利氏、織田氏(羽柴秀吉軍)の攻防の的になりながらも元和03年(西暦1617年)に廃城になるまでは因幡国の重要拠点として栄えましたそうです。


 続・100名城のスタンプはこんなところにあるのか、大変だなぁ。


 こちらが本丸跡になります。

 ここまで入り口から1時間かかりました。なかなかの達成感です。


 標高400mほどの場所になるわけですが、左手が但馬方面、右手が播磨方面に繋がっており、そちらから敵が来ても発見が容易な立地となっています。


 住吉神社(すみよしじんじゃ)です。


 播磨国三宮として参拝ですが、全面的な改装中でした。


 住吉神社の隣に随分立派なお堂がありましたので、そちらにも立ち寄ります。


 んー?この宝塔はどこかで見たような?


 ここは5年程前、新西国三十三観音霊場29番札所として参拝した泉生山(せんしょうざん)酒見寺(さがみでら)でした。

 そうか、逆方向の道路で来たから道路では気がつかなかったんだ。


 中国自動車道から新名神を走ってみました。

 SA1つ、PA1つが新しく出来ていました。こちらは宝塚北SAです。


 神座(かむくら)さんが入っていたのでここで早めの夕食です。

 一泊二日630kmの旅路でした。燃費は24.1km/h。なかなかの好成績でした。

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