439.福知山城に登ろう!


 平成30年04月18日。

 私の職場の繁忙期も終わり、一息と言った所です。


 枚方市にある二ノ宮神社(にのみやじんじゃ)です。

 前回訪問時、宮司さんご不在で御朱印を頂けなかったので再訪問したのですが、またも到着したときに神事が始まったとかで1時間ほどかかるとのこと。またの機会に訪問することにしました。


 繋がった京都縦貫道を利用して福知山にあるとん吉さんへ。

 いつも行列が出来ていますが、今日は作業服の団体さんが居たくらいで10分待ちくらいでした。(写真は人が居なくなってから撮影)


 とんこつラーメンの大盛りです。

 天一以上にこってりしてる気がします。ゴッケイさんはやりすぎだと思うけど、こってり大好きです。ご馳走様!


 福知山城です。

 駐車場も無料で整備されており、散歩している地元民の方も多かったです。


 天守閣の裏側からです。


 織田信長の部下として丹波を平定した明智光秀が築城し、天正09年(1581年)、女婿の明智秀満が城代を務めました。翌年起こる本能寺の変の後から江戸時代初期は次々に城主が代わりましたが、最終的に朽木氏が13代続いて明治維新を迎えました。


 続・日本100名城【福知山城】の認定証がありました。

 どうしても敵役になってしまう明智光秀ですが、私、結構好きな武将なんですよね。彼の行動には真面目な一面がとても見え隠れするんですよね。


 天守閣からの展望です。


 進路を西に取り、続・日本100名城【黒井城】です。


 建武年間に赤松貞範が築城。戦国時代には丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直正の居城となりますが。天正07年(西暦1579年)、息子の赤井直義の時、明智光秀に攻められ落城しました。その後、明智光秀の部下・斎藤利三が城主となり、現在の縄張りまで拡張したとされています。江戸時代に入り廃城となりました。

 さぁ登ってやろうかという気持ちはあったのですが、明らかに準備不足な山でしたので、今回は現地確認に留めておきます。


 日本100名城【篠山城】です。


 慶長14年(西暦1609年)、徳川家康の天下普請によって築城されました。縄張は藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政が努めました。山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名の抑えとするのが目的であったとされています。


 大書院以外の建築物はなく、完全な跡地です。

 幼稚園から中学校や女子高校など色々と利用されていましたが、現在は総て城外に移され、城郭跡の公園として整備されています。


 重要伝統的建造物群保存地区【篠山市篠山】です。

 篠山城の西にある武家屋敷群です。


 重要伝統的建造物群保存地区【篠山市福住】です。

 篠山城の東にある商人屋敷群です。


 道の駅「山田錦発祥のまち・多可」です。


 荒田神社(あらたじんじゃ)です。


 播磨国二宮として参拝です。


 更に西に向かいます。

 平成の名水百選【松か井の水】です。


 以前は山の中に降りて汲んだ覚えがあるのですが、便利に整備されていますね。


 道の駅「銀の馬車道・神河」です。

 ここまで来て帰るのもしんどいので一泊していくことに決めて豊岡市にあるホテルに入ります。

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