434.九州遠征その9/島原城と原城跡


 平成30年01月02日。

 道の駅「みずなし本陣ふかえ」を訪ねますが、普段8時半にオープンのこの道の駅も1/2は9時半スタートなのだとか。何その中途半端な正月対応は…。スタンプは回収出来ませんでしたので、島原城に向かいます。


 何度か訪ねてきている島原城です。日本100名城です。

 松倉重政(まつくらしげまさ)による築城です。4万3千石の大名でありながらこの規模の大城郭を造るのは相当の見栄っぱりだったようで、当然石高以上の城郭を維持するために圧政を敷いたようです。

 この圧政の不満の高まりから、島原の乱に繋がり、その息子は改易され、大名でありながら斬首にされています(普通は名誉を守れる切腹)。これは江戸時代で唯一のケースでした。


 こちらは天守からの東の展望です。有明海を隔てて対岸の熊本県が見えています。


 こちらは西の展望です。

 雲仙普賢岳を中心とした連山が見て取れます。


 天守の裏手には面白い石造が沢山ありました。


 駐車場代320円、入館料540円と九州の観光地としてはなかなかの設定ですが、現地には武将のコスプレをしたスタッフがいたりと、島原の観光地の中心として努力している姿が伺えます。

 復刻城郭ではありますが、本当に立派な城郭で桜の木も多く見られ、春の季節には賑わう姿が見れそうですね。


 ご当地メダルを回収し、ご当地サイダーもあるとかウハウハやん!


 道の駅「みずなし本陣ふかえ」を再び訪問して道の駅スタンプラリーのスタンプ回収です。


 国指定史跡でもある続・日本100名城【原城(日暮城)】です。


 島原半島の南部に位置し、明応05年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれたのが始まりとされています。


 海を隔てて見えるのは長崎半島と思います。


 石垣はありませんが堀の遺構であることはよくわかります。

 一国一城令の後、原城は廃城されましたが、島原の乱の際には反乱軍が立てこもって抵抗しました。島原の乱の後には幕府によって徹底的に破却されたとのことです。


 田結山(たゆいざん)観音寺(かんのんじ)です。

 九州西国三十三観音霊場24番札所として参拝です。当日、住職さんはご不在で、書置きがあるという場所も鍵がかかっており、あれれ?住職さんに電話して確認。どうやらお手伝いさんが勝手に鍵をかけちゃったのだとか。そうすると住所を書いてポストに入れておくと郵送してくれるとのこと。300円と住所メモをポスト投函しておきました。

 後日、自宅に御朱印が到着しました。ありがとうございます。


 長崎山(ちょうきざん)清水寺(きよみずでら)です。


 九州西国三十三観音霊場25番札所として参拝です。

 ここは初詣客も多かった印象です。地元の信仰が厚いのですね。

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