430.九州遠征その5/臼杵城に登ろう!


 平成29年12月31日。

 道の駅「佐賀関」からスタートです。


 新・街路樹100景【臨海産業道路】です。

 朝食を困ったときのすき屋で済ませて今日も張り切って巡ります。流石にすき屋で写真を撮る作業はハードルが高い。


 高城山(たかじょうさん)吉祥院(きっしょういん)観音院(かんのんいん)です。

 住宅街の中にあり、どうやら寺院の左右にある邸宅で交互に御朱印対応されているご様子。当然初訪問の私は知る由もなく、本日休日のほうを訪ねてしまいました。これはパンフレットに記載された方が良いのでは!?


 九州西国三十三観音霊場9番札所として参拝です。


 次の札所に向かって、プリウス君のカーナビに従っているとこの有様だ。

 そういえば、2年前の熊本地震で大分も一定被害があったとニュースで報道されていたのを思い出しました。

 寺院に電話を入れて、県道21号線を使って迂回して行けば大丈夫とのこと。


 推定樹齢300年以上とされている円通寺のイチョウです。


 九六位山(くろくいさん)円通寺(えんつうじ)です。

 九州西国三十三観音霊場10番札所として参拝です。


 続いて高野山(こうやさん)興山寺(こうざんじ)です。


 九州西国三十三観音霊場で唯一の特別霊場です。


 九州西国三十三観音霊場特別札所と2番札所の御朱印を頂きました。


 臼杵城です。


 永禄05年(西暦1562年)に臼杵湾に浮かぶ丹生島に大友義鎮(後の宗麟)が築城したのが始まりとされています。

 島津との丹生島城の戦いでは、ポルトガルから入手した国崩し(大砲)で対抗し守り抜きました。関ヶ原の戦いの後、美濃国郡上八幡より5万石で稲葉貞通が入封して明治維新まで稲葉氏15代の居城となりました。


 空堀の中に銀杏が沢山積もっていて実に美しかったです。


 外堀には鴨さんが沢山泳いでいました。

 外堀と表現しましたが、かつては丹生島にあった城郭だったので不適切かもしれませんね。明治維新後、西南戦争の時に薩摩軍に破れ落城。その後、奪還されるも明治20年に城の周囲の海が埋め立てられて陸続きになった歴史があります。


 石垣に穴が空いているので何だろうと思ったら、大東亜戦争時代に造られた防空壕だったそうです。いつの世も戦ですね。

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