168.九州遠征その2:壱岐島に上陸!【後編】


 平成24年05月30日。

 続いて弥生時代の環濠集落である原の辻遺跡に訪問しました。

 静岡県の登呂遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡と並んで重要な国の特別史跡です。復元された竪穴式住居などが見てまわれます。吉野ヶ里遺跡の無料版といったところでしょうか。

 そして誰も居なかった・・・。ちょっと寂しい気持ちになる空間でした。


 お腹が空いて来たので、目をつけていた「うにめし食堂はらほげ」に立ち寄りました。

 名物のうにめしを頂きました。紫うに、赤うに、馬糞うにの炊き込みご飯です。香りを楽しめる一品でした。

 食後、女将さんが駐車場に見送りに来てくれるなど、好感が持てる郷土料理店でした。


 腹を満たしてから、観光ポイント「はらほげ地蔵」に立ち寄りました。はらほげというのは、お腹に穴が開いている、という意味だとか。

 満潮時の海の中にある地蔵を見たかったのですが、引き潮全開でした。残念!


 長崎県壱岐市に鎮座する住吉神社に訪問しました。

 旧社格は国幣中社であり近代の壱岐で最も崇敬を集めていた神社のようです。私の記憶が正しければ、壱岐で唯一の官社ではないでしょうか。


 境内には、巨木がいくつもあり、壱岐で一番大きな木は、左上の写真にあるこの住吉神社の御神木である楠です。

 汗を流したくなったので湯ノ本温泉の旅館長山を利用しました。

 昼間に訪問したので、まだ準備が整っていなかったようで少し申し訳ない気分に。しかし、露天風呂を独り占め出来るのは気分いいですね。まったりしました。

 オレンジ色の塩化物泉で、口に含むとしょっぱいです。設備は古く狭いのですが、入浴料も300円と良心的でしたので、満足なレベルです。


 その後、北上し、アホウ塀を見学しました。


 江戸時代に鯨王と呼ばれた土肥家が建設した大邸宅を囲む塀を、無用の長物と皮肉を込めてアホウ塀と呼ぶようになったのだとか。

 本当に無用の長物にしか見えませんでした。いつの時代も成金趣味があるものですね。


 長崎県壱岐市に鎮座する興神社(こうじんじゃ)に訪問しました。旧村社です。

 壱岐国一宮は、天手長男神社(あめのたながおじんじゃ/あまのたながおじんじゃ)なのですが、元寇の襲来によって廃れてしまい、正確な所在地が不明となっています。

 近年の研究で、この興神社こそが本来の天手長男神社であり壱岐国一宮であるのではないかとの説が有力です。


 概ね、訪問したいと思っていたポイントは攻略し終えたので、芦辺港に立ち寄り、対馬行きの船を捜します。

 最も早い船が、深夜2時半発、4時半着でした。折角の4連休を無駄にしたくないので、早起きすることを決意し、予約。14810円でした。

 予約を済ませてもまだ太陽が昇っているので、男嶽神社(おんだけじんじゃ)に訪問しました。

 かつては、山全体がご神体として入山規制されていたようですが、今は普通に観光できます。私は駐車場から徒歩で向かったのですが、どうやらこの神社のまん前まで車で来れるようです。


 神話において天孫降臨の道案内をしたとされる猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神にしており、境内には約200ほどの猿の石造が所狭しと並んでいます。

 なかなか見ごたえのあるポイントでした。来ておいて良かった。また、境内には展望台があり、島の北半分を見渡せます。

 ・・・その後、芦辺港に戻り、寝る準備。明日はいよいよ対馬上陸だ!

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