1086.東北の旅その13:日本の棚田百選・達成!


 令和06年08月13日07時からのスタートです。

 前夜から妻と交互運転で岩手県まで移動していました。


 日本の棚田百選【山吹の棚田】を訪ねます。


 山吹(やまぶき)の棚田は、岩手県一関市大東町大原字山吹にある棚田です。山の斜面に約40枚の水田が段々に並んでいます。

 山吹の棚田は、日本の棚田百選で最北の棚田となります。春になると山吹の黄色い花が至るところ咲き誇ることがその名の由来なのだとか。


 平成30年05月15日に丸山千枚田から始めて、令和06年08月13日に山吹の棚田でゴールしました。6年と少しの旅路でした。7つ目の百選達成です。


 ため池百選【百間堤(有切ため池)】を訪ねます。


 有切ため池(ありきりためいけ)は、岩手県一関市室根町津谷川字有切にあるため池です。

 百間堤(有切ため池)は、その名の通り百間(180m)を超える堤長を持つため池として築造されました。


 伊能忠敬に弟子入りした小野寺面之助が文化元年〜弘化02年(西暦1804〜1845年頃)に私財を投じ普請したと伝えられています。


 宮城県に入って日本の地質百選【唐桑半島】を訪ねます。


 唐桑半島(からくわはんとう)は、宮城県気仙沼市唐桑町にある半島です。

 唐桑半島は、リアス海岸独特の入り組んだ地形が連続し、波の浸食によって造り出された岩が見所です。


 唐桑半島で一番の見所は、「巨釜・半造(おおがまはんぞう」です。


 巨釜は、大きな釜が煮えたぎっているように見えてることからその名の由来となりました。また折石(おれいし)は、折石は高さ16m、幅3mの石柱で明治29年に発生した明治三陸津波の時に、先端が2mほど折れたことが名前の由来です。


 日本の渚100選【十八鳴浜】を行こうとしましたが、どうやら徒歩限定での移動が必要で車では隣の漁船置場にしかアクセス出来ませんでした。

 台風5号が通過したばかりで天気もイマイチなので、今回は断念しました。


 払川(はらいかわ)ダムを訪ねて、ダムカードを頂きます。


 日本の白砂青松100選【御伊勢浜】を訪ねます。

 御伊勢浜は、もともとは長い砂浜であることから「長須賀」と呼ばれていましたが、伊勢崎の西側に位置していることから「御伊勢浜」と呼ばれるようになりました。


 東北の震災で、松並木は総て流されました。現地では、大規模な防波堤が整備され、若い松が植林されていました。


 道の駅「大谷海岸」に立ち寄ります。


 日本の白砂青松100選【小泉赤崎海岸】に立ち寄りますが駐車場が海水浴客向けの有料駐車場になっていたので、天気を勘案してスルーしました。


 道の駅「さんさん南三陸」に立ち寄ります。


 日本の白砂青松100選【神割崎】を訪ねます。

 神割崎(かみわりさき)は、宮城県南三陸町・石巻市にある海岸です。


 現地の案内板によると、この場所にはかつて2つの村があり、大きな鯨が打ち上げられ、両方の村の住民は天からの授かり物だと大喜びしましたが、両村の境が明確でなかったため、両村とも「ここは自分たちの村」であると三日三晩争いました。


 その三日目の夜、落雷を伴う豪雨が襲い、翌朝、大岩が割れていることを発見し、神様による仲裁だと感じた両村の住民は岩の割れ目を両村の境界と決め、鯨も分け合いました。


 この場所が南三陸町と石巻市との境界となっています。


 残したい日本の音風景100選【北上川河口のヨシ原】の再訪です。


 北上川(きたかみがわ)は、岩手県中央部から宮城県石巻市にある追波湾(おっぱわん)に流れ出る一級河川です。


 北上川河口のヨシ原は、日本でも数少なくなったヨシ(葦/アシ)の群生地として知られており、良質の茅葺きの屋根材としても活用されています。

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